青山学院大学長距離ブロック監督
1967年、広島県三原市出身。世羅高校を経て、中京大学に進学し、全日本インカレ5000mで3位入賞。卒業後、陸上競技部第1期生として中国電力に進むも、故障に悩み、5年目で競技生活から引退。95年、同社でサラリーマンとして再スタートし、電気の検針や料金の集金などの業務につく。その後、営業マンとして新商品を全社で最も売り上げ、ビジネスマンとしての能力を開花。
陸上と無縁の生活を送っていたが、長年低迷していた青山学院大学陸上競技部の監督への就任話が舞い込む。選手として箱根駅伝出場などの華々しい成績や指導経験がなかったものの、2004年に3年契約で監督に就任。しかし、契約3年目での箱根駅伝出場を逃し監督辞任のピンチを迎えたが、ビジネスで培ったプレゼン力で猶予を得て、09年に33年ぶりの箱根駅伝出場を果たす。
15年、青学史上初となる箱根駅伝総合優勝に輝く。16年、箱根駅伝2連覇、および、39年ぶりに、1区から10区まで一度も首位を譲らない完全優勝という快挙を達成。
そして17年、箱根駅伝3連覇。大学3大駅伝である出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の優勝により、大学駅伝3冠という快挙も同時に成し遂げる。3連覇3冠の同時達成は史上初。
18年、史上6校目となる箱根駅伝4連覇を達成。20年、箱根駅伝5度目の総合優勝。22年、箱根駅伝6度目の総合優勝。24年の箱根駅伝では大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たす。25年、再び大会新記録を出し、8度目の総合優勝。ビジネスの経験を生かした「チームづくり」「選手の育成」で陸上界の常識を破り、快進撃を続ける。
主な著書に、14万部突破の『フツ――の会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉』(アスコム刊)、『最前線からの箱根駅伝論 監督就任20年の集大成』(ビジネス社)などがある。
◆よりよい組織づくりが、よりよい人材をつくる
◆フツ――の会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉
~人と組織を強くするビジネス・メソッド~
◆箱根駅伝から学ぶ人材育成術
◆勝ち続ける組織のつくり方
など。他に希望される演題がございましたら、ご提案ください。原監督に相談いたします。
フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉
定価1400円+税、アスコム刊
CONTACT
お問い合わせ
ご相談は無料です。
お仕事のご依頼、講師の派遣などお決まりの範囲で構いませんので、お気軽にお問い合わせください。